世界が、部屋の中に閉じ込められたとき
あのパンデミックが、私たちから「移動の自由」を奪いました。
写真家たちも外へ出られなくなり、レンズはおのずと、一番身近な生活、家族、そして自分自身へと向かわざるを得ませんでした。
けれど同時に、世界の向こう側ではBLM(ブラック・ライヴズ・マター)の叫びが響き渡っていました。「誰がカメラを持ち、誰がレンズを向けられるのか」。写真という行為に潜む「特権」が問われ、被写体と撮影者の関係が、かつてないほど繊細に、対等に結ばれ直した時代でもあります。
会えない切実さと、新しい連帯
■ ザ・ニュー・ブラック・ヴァンガード (The New Black Vanguard)
これは単に黒人の写真家が増えた、という話ではありません。「黒人の身体をどう描くか」という、美術史の書き換えでした。
これまでメディアが押し付けてきた「苦難」や「闘争」のイメージではなく、「喜び(Black Joy)」や「優雅さ」を撮る。鮮やかな色、ハイファッション、リラックスした表情。差別と戦う拳ではなく、ただ幸福にそこにいること。それ自体が最強のメッセージになるのだと、彼らは証明しました。
■ リモート・シューティングと「家」の再発見
ロックダウンの最中、写真家たちが編み出したのが、FaceTimeやZoom越しの撮影でした。
最初は画質の悪さに戸惑いましたが、やがてその「粗い画質」こそが、「会いたくても会えない」時代の切実なエモーションになりました。スーパーモデルが自宅のベッドで、自分でスマホを構える。そこには完璧なライティングにはない「生活の匂い」と、画面越しに心を通わせようとする「奇妙な親密さ」が記録されています。
ロックダウンの最中、写真家たちが編み出したのが、FaceTimeやZoom越しの撮影でした。
最初は画質の悪さに戸惑いましたが、やがてその「粗い画質」こそが、「会いたくても会えない」時代の切実なエモーションになりました。スーパーモデルが自宅のベッドで、自分でスマホを構える。そこには完璧なライティングにはない「生活の匂い」と、画面越しに心を通わせようとする「奇妙な親密さ」が記録されています。
ユートピアを夢見て(世界)
■ タイラー・ミッチェル (Tyler Mitchell) | アメリカ
23歳で米『Vogue』の表紙を撮った彼は、若きスターという以上の意味を持っています。
彼が描くのは「ブラック・ユートピア」。芝生で寝転び、凧揚げをする若者たち。そこには差別の影も暴力もありません。「黒人の身体が、ただ余暇を楽しんでいる姿を見る。それだけで革命的なんだ」と彼は言います。パステルカラーの優しい光は、現実の記録というより、「こうあるべき世界」への祈りのようです。
■ ディアナ・ローソン (Deana Lawson) | アメリカ
2020年以降のディアナ・ローソンは、個人の親密な部屋から、より「宇宙的」な領域へと接続し始めたように見えます。
彼女が掲げる「セントロピー(再生への秩序)」という概念。それは日常のポートレートの中に、銀河や結晶のようなエネルギーの循環を見出す試みです。被写体の背景に潜む神話や、目に見えない力学を可視化するそのアプローチは、写真は記録を超えて「魔術」になり得ることを教えてくれます。
足元を見つめ直す(日本)
■ 志賀理江子 (Lieko Shiga) | 宮城
震災以降、宮城の土地に根を張り、地域社会と深く交わりながら制作を続ける彼女。パンデミックで社会が揺らぐ中、土地の精霊や死生観を幻視的なビジュアルで描くその活動は、より一層の凄みを増しました。「生きることと死ぬこと」の根源に触れる彼女の作品は、不安な時代の灯火のようです。
『Lilly』『CANARY』: ロンドン在住時代や、仙台、オーストラリアなどで撮影された初期の代表作。2008年に第33回木村伊兵衛写真賞を受賞
■ 山谷佑介 (Yusuke Yamatani) | 新潟
写真家・山谷佑介の代表作『Doors』は、写真表現の既成概念を揺さぶる強烈なシリーズです。 彼自身がトランス状態でドラムを叩き続け、その「音」や「振動」にセンサーが反応してシャッターが切られるという仕組み。写真家の聖域である「シャッターチャンスの選択」を機械と偶然性に委ね、意識的なコントロールを放棄しています。
暗闇の中でストロボが明滅し、浮かび上がるのは汗と熱気、そして意識のタガが外れた肖像。音楽と写真が融合し、撮影プロセスそのものがパフォーマンスとなる。この「制御の手放し方」は、写真に携わる人間として非常に刺激的な体験でした。
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