20-24『分断された世界と、部屋の中のユートピア』

世界が、部屋の中に閉じ込められたとき

あのパンデミックが、私たちから「移動の自由」を奪いました。
写真家たちも外へ出られなくなり、レンズはおのずと、一番身近な生活、家族、そして自分自身へと向かわざるを得ませんでした。
けれど同時に、世界の向こう側ではBLM(ブラック・ライヴズ・マター)の叫びが響き渡っていました。「誰がカメラを持ち、誰がレンズを向けられるのか」。写真という行為に潜む「特権」が問われ、被写体と撮影者の関係が、かつてないほど繊細に、対等に結ばれ直した時代でもあります。

会えない切実さと、新しい連帯

■ ザ・ニュー・ブラック・ヴァンガード (The New Black Vanguard)
これは単に黒人の写真家が増えた、という話ではありません。「黒人の身体をどう描くか」という、美術史の書き換えでした。
これまでメディアが押し付けてきた「苦難」や「闘争」のイメージではなく、「喜び(Black Joy)」「優雅さ」を撮る。鮮やかな色、ハイファッション、リラックスした表情。差別と戦う拳ではなく、ただ幸福にそこにいること。それ自体が最強のメッセージになるのだと、彼らは証明しました。
■ リモート・シューティングと「家」の再発見
ロックダウンの最中、写真家たちが編み出したのが、FaceTimeやZoom越しの撮影でした。
最初は画質の悪さに戸惑いましたが、やがてその「粗い画質」こそが、「会いたくても会えない」時代の切実なエモーションになりました。スーパーモデルが自宅のベッドで、自分でスマホを構える。そこには完璧なライティングにはない「生活の匂い」と、画面越しに心を通わせようとする「奇妙な親密さ」が記録されています。
ロックダウンの最中、写真家たちが編み出したのが、FaceTimeやZoom越しの撮影でした。
最初は画質の悪さに戸惑いましたが、やがてその「粗い画質」こそが、「会いたくても会えない」時代の切実なエモーションになりました。スーパーモデルが自宅のベッドで、自分でスマホを構える。そこには完璧なライティングにはない「生活の匂い」と、画面越しに心を通わせようとする「奇妙な親密さ」が記録されています。

ユートピアを夢見て(世界)

■ タイラー・ミッチェル (Tyler Mitchell) | アメリカ
23歳で米『Vogue』の表紙を撮った彼は、若きスターという以上の意味を持っています。
彼が描くのは「ブラック・ユートピア」。芝生で寝転び、凧揚げをする若者たち。そこには差別の影も暴力もありません。「黒人の身体が、ただ余暇を楽しんでいる姿を見る。それだけで革命的なんだ」と彼は言います。パステルカラーの優しい光は、現実の記録というより、「こうあるべき世界」への祈りのようです。
■ ディアナ・ローソン (Deana Lawson) | アメリカ

2020年以降のディアナ・ローソンは、個人の親密な部屋から、より「宇宙的」な領域へと接続し始めたように見えます。

彼女が掲げる「セントロピー(再生への秩序)」という概念。それは日常のポートレートの中に、銀河や結晶のようなエネルギーの循環を見出す試みです。被写体の背景に潜む神話や、目に見えない力学を可視化するそのアプローチは、写真は記録を超えて「魔術」になり得ることを教えてくれます。

足元を見つめ直す(日本)

■ 志賀理江子 (Lieko Shiga) | 宮城
震災以降、宮城の土地に根を張り、地域社会と深く交わりながら制作を続ける彼女。パンデミックで社会が揺らぐ中、土地の精霊や死生観を幻視的なビジュアルで描くその活動は、より一層の凄みを増しました。「生きることと死ぬこと」の根源に触れる彼女の作品は、不安な時代の灯火のようです。
 
『Lilly』『CANARY』: ロンドン在住時代や、仙台、オーストラリアなどで撮影された初期の代表作。2008年に第33回木村伊兵衛写真賞を受賞
■ 山谷佑介 (Yusuke Yamatani) | 新潟

写真家・山谷佑介の代表作『Doors』は、写真表現の既成概念を揺さぶる強烈なシリーズです。 彼自身がトランス状態でドラムを叩き続け、その「音」や「振動」にセンサーが反応してシャッターが切られるという仕組み。写真家の聖域である「シャッターチャンスの選択」を機械と偶然性に委ね、意識的なコントロールを放棄しています。

暗闇の中でストロボが明滅し、浮かび上がるのは汗と熱気、そして意識のタガが外れた肖像。音楽と写真が融合し、撮影プロセスそのものがパフォーマンスとなる。この「制御の手放し方」は、写真に携わる人間として非常に刺激的な体験でした。

25-『写真の定義が崩壊した日。AIとの共存、あるいは対立』

フォトクロニクル:2025-2026年

AIが、空気のように漂う時代

生成 AIが、完全に日常へと溶け込んだ頃です。
誰もが言葉「プロンプト」ひとつで、息を飲むようなリアルな画像を生み出せるようになり、「レンズで光を捉えること」の意味が、かつてないほど激しく揺さぶられました。
けれど、面白いもので、デジタルの波が押し寄せれば押し寄せるほど、私たちはその反動で「手触り」を求めるようになります。暗室の匂い、フィルムのザラつき、あるいは汗をかくような身体的なパフォーマンス。そうした泥臭い写真行為が、デジタルの海に対する「碇(いかり)」として、愛しく思えるようになったのです。

プロンプトという新しい筆

プロンプトグラフィー (Promptography)

カメラを持たず、AIと対話して描く画像。2023年にボリス・エルダグセンがソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワードの受賞を拒否したあの事件から、これは「写真」ではなく新しい「アート」なのだと、ようやく定着し始めました。

本物の証 (C2PA/Content Credentials)

「これは本当にカメラで撮ったの?」そんな疑念を晴らすためのデジタル署名技術が、カメラの標準装備になりました。真実を証明するために、テクノロジーが必要になるなんて、皮肉な話です。

データを彫刻する者たち(世界)

レフィク・アナドル (Refik Anadol) | トルコ/アメリカ

彼は写真家という枠には収まりませんが、写真の歴史を語る上で避けては通れません。何億枚もの写真をAIに読み込ませ、それらを溶かして混ざり合わせ、巨大な「データの彫刻」として提示しました。写真はもはや「一枚の静止画」ではなく、うねり続ける情報の波になったのです。MoMAでのあの展示は、写真とデータの境界線が消滅した、象徴的な事件でした。

チョ・ギソク (Cho Gi-Seok) | 韓国

K-POPの熱狂と共に現れた彼は、デジタルの加工と、職人的なセット作りを完璧に融合させました。ファッション写真でありながら、シュルレアリスム絵画のよう。「不完全なものの美しさ」を愛する彼の作風には、AIがどれだけ計算しても出せない、生々しい「艶」が宿っています。

指先で歪む現実(日本)

小林健太 (Kenta Cobayashi) | 神奈川

デジタル画像を指でぐにゃりと歪める。その「グリッチ」と呼ばれる手法で、彼は都市の風景を抽象画のように変えてしまいます。それは写真というより、私たちがスマホの画面越しに見ている「デジタル化された現実」そのものを写し取っているよう。現代の都市感覚そのものです。

片山真理 (Mari Katayama) | 群馬

自身の義足や身体をオブジェのように扱い、手縫いの装飾品と共にセルフポートレートを撮り続ける彼女。AIがどんなに「完璧な人体」を描けたとしても、彼女の身体に刻まれた「痛み」や、そこで生きているという「実存」は、決して模倣できません。テクノロジー全盛の今だからこそ、彼女の作品は圧倒的なリアリティで迫ってきます。

 

紙で残すべき一冊
* Webやスクリーンが主戦場だからこそ、あえてZINEや小部数の本で「AIにはできない特殊印刷」を試みる。そんな、物質への愛着があちこちで花開いています。